≪死んだらいい人? NO.2≫

≪死んだらいい人? NO.2≫

自分と出版社の人はその後、居心地の悪い状態の中、1時間半くらい我慢して周囲の会話を聞いていたが、話の内容もある程度分かったので帰る事にした。
それで一応、故人の両親に一言お悔やみを言って帰ろうとすると、
故人の父親は俯いたまま頭を下げただけだったが、すぐに母親は立ち上がり、「本当に申し訳ありません。お宅様方はお幾らくらい息子に出していますでしょうか?」と泣きながら言った。
「いえ、いえ、私達は仕事仲間ですから・・・」と言いながら、あまりにも故人の御両親が哀れになり、そこまで言うと、早々に二人でその場を後にした。

帰りの電車の中で自分と出版社の人は、今まで我慢していてお互いに聞けなかった事を一気に言い合った。
その結果、『自分達は30年近く故人の何を見ていたんだろう、故人の何を知っているんだろう、一体誰と仕事していたんだろう』と言う思いになったようだ。

私は彼のその話を聞いていて、人の印象と言うか、
人が話をしていている時、その人の思い通りに言っている事がみんなに同じように伝わっているかというと、それも聞いているそれぞれの判断で、人によっては全く違ったように捉える人もいるので、それを考えれば、人の印象もそれぞれで変わってもおかしくないと思った。
しかし、彼の話は30年近くも密に付き合って来て、『一体彼は誰?』とは、あまりにも極端でビックリする事はビックリする話だが、
私が気になったのはパンツ姿の喪服の女性が言い放った言葉だった。
「もう死んだらいい人?」

実を言うと、私はここ何年かで彼女と同じような思いになった事が2回あった。
2回とも仕事の関係上、この10年で行きたくもない葬儀に義理で参列した。
この友人の話と違うのは、私は最初から亡くなった故人が人間として大変悪い人で、その人は私含め周りに多大な迷惑を掛けたまま逃げてしまい、その後、周りも私もその故人の後始末で散々な目にもあい、その人が亡くなったと聞いた時には、誰一人その人の話をしたがらなかった。

そんな事とも知らない故人の身内から「どうしても葬儀に参列して欲しい」と連絡があり、仕方なく私と何人かは葬儀に参列したが、私達は表向き葬儀に参列して居た人達と何ら変わらないような顔をして周囲の故人を偲ぶ話にも耳を傾け、時々相槌も打っていたが、
実際のところ、内心では周囲が故人を褒め称える話を虫唾が走る思いで聞きながら、煮えたぎる怒りを思い出して、今にも口に出してしまいのそうで、それを押さえるのに必死に耐えている状態だった。

「もう死んでしまったのだからイイじゃない!死んでまで悪く言いうことはない!」
「やはり罰が当たり、早死にする事になったんだから、もう許してあげればいい!」
という思いも、私の心の中の何処かにはある。

しかし、私は『死んだら、もう全てチャラになるのか?全てなかったことになってしまうのか?』と言う問いに答えるとしたならば、そんなことは決してないと思う。
それじゃ、生きている間、好き勝手な事をやって、後は死ねばいい事になってしまう。
現に先程の友人の行った葬儀の故人は死んだ後でも、その故人の御両親や身内はその故人の責任を追及されて逃げるわけにもいかず葬儀の席でも苦しんでいる。

人が生きるという事はどんな人でも誰かと何かしらでも関わって生きていく。
それは家族でもあり身内でもあり、友人、仕事仲間等など・・・。
誰かと関わった事で、悪い事もあるが、反対に良い事も沢山あり、又自分の行動で隣人を幸せにする事も沢山ある。

死んだら終わりじゃない・・・、人が死んでもその人自身の生き様は良くも悪くも必ず残る。
そして、それを覚えている人が必ずいる。
生きるという事はそう言う事を含めて、生き抜いていく事なのだと思う。
だからこそ、日々のその一日の生活が物凄く大切で、その日に何かが起きても必ずその日の自分の言動には責任を持たなければならない。
そして、もし何か誤解を招く事や困った事が起きたとしたら、絶対にその状況から逃げずに、なるべく早めに誤解を取り払う努力や困った事を解決する行動をする事が大切だと思う。

『死んだ後の事なんて、自分には関係ない!』と自分は思っていても、そう思わない人がいるという事。
そして、自分に関わったという事は、その人達の殆どが、自分が生きている時には、自分の事を沢山心配してくれ、愛してくれた人だと思う。
人は一人で生きているのでは決してない。

私は死んでまでいい人になろうと思わないし、時の経つのがこれだけ早い今の世の中では、それぞれの日々の生活に追われ、きっと人は死んでしまった人の事など、すぐに忘れてしまうだろう。

ただ、もし私の事を憶えていてくれる人がいるのなら、その人が生きていく中で挫けそうな時に、ふと思い出して貰えて、その人を支えてあげられるように、毎日少しでも徳を積むような生き方をしたいとあらためて思う。

生まれてきた限りは生きていかなければならない、そして、誰にでも必ず訪れる死。
私達が生きているこの時間は本当に毎日が修行の場・・・。

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