≪想像力≫

≪想像力≫

「昔は、昔は」と、もう昔の話をしても、時代の流れがこれだけ速ければ、そんな事を言っていても、時代遅れの愚痴で仕方がないのも分かっているが、
本当に最近、何人かで話をしていてよく感じるのが、想像力に欠けている人が物凄く多くて、話の途中でもハラハラドキドキする事がある。
多いと言うか、想像力のある人とない人ではその差が物凄くあり、想像力がない人はわざと想像力を使っていないのではないかとさえ感じるほど、変な言い方だが、とことん想像力に欠ける言動をしている。

時間の流れが速いので気が回らないのか、それともその場しのぎの付き合いなので一々そこまで気にしていられないのか、本当に本来の優しい日本人は何処へ行ったのやら・・・。

普通とか常識とかそういうものを遥かに超えている以上に想像力が欠けているため、
「え~、何で、何で?何でそういう言い方するかな~?」とか
「少しは人の気持ちになって言った方がいいよ~!」「自分がそう言われたらどう思う?そんな言い方されたら、自分なら気分が悪くならない?傷つかない?あ~、もう、あの人絶対傷ついちゃったよ~!」
私は心の中で常に叫んでいる。

特に若い世代の子なら、理解も出来るし、まだ許せる。
と言うのもこれだけ、インターネットが発達して、何か起こっても、想像する間もなく、
インターネット中にそれなりの答えがあるから、想像しなくても既に結果が出てしまっていて、困る事や不便はない。
そして、時間の流れも速いので、その事に一々引っかかって立ち止まっている場合ではない事もよく理解が出来るので、いつの間にか想像力は使わなくても、済んでしまう事が現実で、そういう時代に生きているから、若い世代の子に関しては多少想像力が欠けていても仕方がないという事にしようと私は心に言い聞かせている。

事実、私もパソコンを使っていて、疑問に思う事や知らない事があれば、いつの間にか何も考えずに無意識のうちにヤフーの検索サイトにワードを打ち込んで、楽をしてしまう事が多々ある。
ただ、ちょっと今時と違うのが、その検索された答えや結果がどうも信用しきれず、又満足出来切れずに、結局、その後で自分の想像力を使って、自分なりの答えや結果を見つける作業を始めるのだが・・・。

ただ、最近では私とあまり年齢も変わらなかったり、私よりも遥かに歳が上の人との集まりの中でも、想像力欠如の方がいて、こういう事態になる事はしばしばある。

その度に、何故か、私は急に小学生の頃の夏休みの宿題の感想文を思い出し、この人は小学生の時に感想文を書かなかったのかな~と思ってしまう。

当時は夏休みの宿題で最低でも3冊以上の本を読んで、400文字の原稿用紙に感想文を、これまた1冊に付き最低でも原稿用紙3枚以上書いて提出するのが当たり前になっていたし、(私の小学校はそうだった)
それとは別に、秋には読書感想文週間なるものがあって、これは県か国か忘れたが、学年ごとに指定された数冊の本があり、その中から自分で選んで感想文を書く仕組みで、その後、優秀作品は学校推薦で県か国か分からないが提出して、賞の受賞などもあった気がする。

何故、感想文を思い出すかと言えば、小説を日常的に読んでいれば、小説の中の登場人物が何を考えてどう思って、そして、その為にどんな行動をしたかとか、小説の中には全てが文になって書かれているわけではないので、読者は想像しなければ物語を読んでいても、流れだけで登場人物の気持ちや作者の言いたい事は全く分からない事が多い。
そのため、小説を読んでいれば、自然に想像力は身に付くもの。

まあ、国語の授業でも正しいとか正しくないとか別問題で、「なぜ彼女はこんな行動をしたのでしょうかね~?」と言う先生の質問に、クラスのみんなが想像力を駆使して、様々な意見を言いあっていた時代だ。
その中で、○○君はそう思うのかとか、○○ちゃんにとっては大した事じゃないんだとか、他人の想像力の世界も知った上で、自分の想像力もドンドン膨らませていく。

私の世代ではこれが凄く当たり前の事だった。
だから、ちょっと想像するだけで、本当に相手はそう思っているかどうかは分からないが、相手の人の気持ちになって、そして自分なりに考えて言葉を発する事を覚えた。

そして、その言葉には『思いやり』と言う魔法のスパイスが自然に追加され、物凄く素敵な言葉に変化した。
自分の自我を通しながら、相手を不愉快にさせずに、そして、いつの間にか相手が「自分のためにこの人は言ってくれているんだ」と思わせ、相手自分に感謝したくなるような言葉や発言。
日々避けては通れない人間関係の中で、これを使わない手はないのにな~とつくづく思う今日この頃・・・。


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